離婚専門行政書士・エノモトのブックレビュー

活字中毒・エノモトのブックレビューです。 離婚関連、子ども関連、趣味関連の本の紹介をしています。

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あるきかたがただしくない

あるきかたがただしくないあるきかたがただしくない
(2005/12)
枡野 浩一

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あるきかたがただしくない

本をあとがきから読むくせがある。解説は読まない。解説のほうがネタばれ度が高いから、解説者の名前だけ見る。でもあとがきでも時々内容のネタばれがあって、失敗った!と思うこともある。

成功のときもある。
『あるきかたがただしくない』の場合は、成功。
本来あとがきがあるべき部分に、河井克夫氏による『ほかにもいろいろただしくない』解説フォークロア漫画。これは、こんなふうに始まります。

・・・・・以下引用・・・・
むかしむかし あるところに 正直なおじいさんが すんでいました。
そしてその隣には ちょっと、どうかと 思うぐらい正直で
結果的にいじわるに しか見えない 超正直おじさんが すんでいました
・・・・引用終り・・・・

この超正直おじさんが、マスノさん(と馴れ馴れしく呼びたい気がする)。
マスノ氏が、「ちょっとどうかと思うぐらい」正直だということが前もってわかっていると、この本の中で語られるマスノさんの行動やら発言やらを格段に理解しやすくなる。気がする。
自分の失敗談や人に対する批判やら、あ~これは超正直おじさんだからかなぁと。
うん、赤裸々という感じじゃなく、正直。

行きつけのアジアンレストランで、店員から「お連れさんの忘れ物」として渡されたシャツジャケットの顛末。ボタンの付け方から、女物だと思ったが、結局作家の長島有氏(男性)のものだったとか。しかも女物だと思ったことがそもそもマスノさんの勘違いだったとか。
生まれて初めて入ったパチンコ店で、ゴト師に間違えられたりとか。
妄想でトーク&サイン会しちゃったりとか。
元日に年賀状読みながらホットカルピス飲んじゃうとか。

フィクションではありえない、間の悪さというかなんというか、絵にならない感じ。

そんなマスノさんの中のすべてを黒くしてしまうほどの、ただひとつの悲しいこと。
それは、離婚後子どもに会えないこと。

私は、いろんなところで、いろんな形で、離婚後子どもが親に会うのは子どもの権利ですよ、と言い続けてきました。
離婚しても夫と関わりを持つのはちょっと・・・と言うお母さんにも、離婚してから子どもに会うと、子どもが悲しむんじゃないか、と言うお父さんにも。
離婚の書類作成を依頼してくださったクライアントさんにも、大学時代の友人にも、離婚してから全く子どもと会っていないという仕事で知り合ったとても尊敬する同業者にも、保育園や小学校の、子どもと元夫を会わせる機会を作っていないというシングルマザー友達にも。
相手が誰であっても、言い続けてきました。
そして、今後も変わらず言い続けるだろうと思う。

でもでも、そこは人間関係を悪くするのも嫌なので、あくまで小声で。
「子どもにとってはどっちの親とも会えるのが一番いいと思うよ」なんて。

マスノさんは、違います。
大声で訴える。
しかも、「子どものために」なんて一言も言っていない。
ひたすら、
「私が子どもに会いたい」
この潔さ、正直さ。

『ジョゼと虎と魚たち』を見ても、鷺沢萌の訃報に接しても、松尾スズキのことを考えていても、自転車が盗まれても、パソコンが壊れても。
でもやっぱり子どもに会いたいと訴え続ける。

私もここは、大声で、マスノさんに言いたいと思う。
あきらめないで。
子どもに会いたいと思い、会いたいと言い続けるマスノさんは間違ってないよ。
全人類が、「元奥さんの気持ちがわかる」わけでも、「いい加減あきらめろ」という解釈でもなく、そんな「解釈」は私にも理解できない。
むしろ、みんながマスノさんみたいに、正直に、「子どもに会いたい」と言えばいいのに、と思う。

最後に、2箇所だけ引用。
1箇所目は、例えば高校生あたりの課題図書になって、「印象に残った部分を1箇所引用しなさい」というお題がでたら、たぶん一番たくさん引用されるだろうくだり。
・・・・以下引用・・・・
(離婚後ずっと子供に会えない)苦しみを、表立って表現しないことが「男らしさ」だというなら、私は男をおりてもいいと思っています。
・・・・引用終わり・・・・

最後は、そんなマスノさんの男らしさを私が一番感じたところ。
・・・・以下引用・・・・
被害者意識を持っていると人はどこまでも残酷になれる。これからは加害者でいいから、優しくなろうと、ふいに思った。
・・・・引用終わり・・・・

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三国志

三国志 (1の巻) 三国志 (1の巻)
北方 謙三 (2001/06)
角川春樹事務所
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「英雄」とは、熱すぎる夢をいつまでも持ち続ける人のこと。
「英雄」になるには、才能は不要。
敢えて言えば、「夢を持ち続ける」という才能だけが必要。

これはずいぶん昔からのエノモトの持論でして。
そういう意味では、この『北方三国志』にも何人かの英雄が出てきます。
が、英雄論は置いといて。

あ、念のため、エノモトは三国志に関しては、これがデビューです。
三国志演義や正史三国志はもちろんのこと、吉川三国志も未読。
吉川三国志に至ってはは、実家にずっとあって、何度もチャレンジしたが1巻の三分の一ぐらいで常に挫折したという、ある意味珍しい本でした。
なんでだろう。『宮本武蔵』は徹夜して読んだのにねー。

で、北方三国志では英雄たちのまわりに、数々の「才能」のある人がでてきます。
北方三国志を読んで、一番考えたことが、「才能」っていったい何なんだろう、ということでした。

三国志中で「才能」ある人といえば、誰もが知ってる諸葛亮孔明始め、対する魏の司馬懿仲達、呉だったら周瑜あたり?
三人とも、その「才能」が文とも武とも分類できない、極めつけの能力の持ち主たち。
それぞれの主君の補佐をするだけでなく、自分で「国とはこうあるべき」という構想、しかも実現可能な構想を抱いちゃうことができる、いわば「プチ英雄」たち。

でも、「才能」ってそんなにすごいものか?
と、天邪鬼のエノモトは考えてしまったわけです。

「才能」っていうのは、人間の持つたくさんのいろんなキラキラしたもののほんの一部であって、それが全てを凌駕するというわけじゃないのではないか、と。
「才能」というのは、環境やら努力やらなんやかんやもあるけれど、多分に持って生まれたものが大半で。

別に、努力が大切だとか、思いやりって必要よね、とか、そーゆー道徳の教科書的なことが言いたいわけじゃなくて。

例えば野球で言えば(例えが野球ばっかりでスマン)、足が速いとか肩が強いとか、ヒットがたくさん打てるとか、そういうのが才能で。
もちろん野球の世界では、足も遅くて肩も弱くてヒットも打てなくて、という輩は用無しですが、『三国志』の世界に生きてる人は、戦国の世を生きてるわけで。

その戦国の世を生きていくにあたって、例えば抜きん出た才能がなくっても、それはそれで、みんな何かしらキラキラとしている。
んー。ただの「人生」じゃなくって「戦国」を生きてるってとこが、キラキラのポイントかもしれません。

馬超につられて曹操に反抗してみたはいいけど、あっさり離間の計にかけられて、日和っちゃう名前も出てこない漢中十部軍の面々とか、孔明先生に我が子とまで思われながら、先走って孔明の天才的な戦略を無茶苦茶にしちゃう馬謖とか、ひたすらなーんにも考えず曹操だけを守る許褚とか、最後まで他人の力をあてにして滅びる張衛とか。とりあえず悪役の董卓だって。ショボさ満載の袁術も。

とりあえず才能があるとは言えない。
でも、みんなキラキラだなぁ、と思うのです。

どっぷりつかれる13冊でした。

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楊家将

楊家将〈上〉 楊家将〈上〉
北方 謙三 (2003/12)
PHP研究所
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ネタバレ警報です。未読の方はご用心。
今までのレビューは、なるべくネタバレのないように気をつけてたんだけど、今回は例外。じゃないと、書けないから。
しかも、昨日読み終えたばかりの本のレビューを今日書いちゃうという例外っぷり。
寝かせられない。

舞台は、宋が建国された頃の大陸。
現在の中国は、北から遼・北漢・宋と3つに分割されていた。
北漢の将軍・楊業は、帝に冷遇され、ついには宋に帰順することを決断する。
それをきっかけに、北漢は滅び、遼と宋が国境を接し、激しい争いを繰り広げる。
ってとこから、物語は始まります。

楊業には7人の息子がいて、上から延平・二郎・三郎・・・と七郎までいるわけですが、どれも「楊家軍」としての誇りを持っているアッパレな男子たち。中でも、エノモトのお気に入りは四郎。
楊家将後伝・血涙で四郎が主人公の一人になってくるってのはまた別のお話。

宋の楊業に対するに、遼には「白き狼」耶律休哥。
で、この耶律休哥、物語の最初では、遼の国母である蕭太后に対し、あまりにも不遜な物言いが多かったため、完全に干されてる状態。
だが、宋・遼二国時代に入り、楊家軍が宋国内で台頭するにつれ、「対楊家軍」として、脚光を浴びるようになる。

ここでようやく舞台は整い、楊家軍vs耶律休哥、という構造になるわけで。

で、この耶律休哥。彼は、あまりにも天才的な用兵をするため、蕭太后から「独立行動権」を与えられている。軍律もなにもあったもんじゃない。遼の総司令官でさえ、耶律休哥が今どこで何をしてるのかを知らない状態。
周りの軍人たちも、耶律休哥の行動は目に余るというより、はっきり言って気に入らない。が、ここぞというときに現れては、敵に痛撃を与える耶律休哥を蕭太后が買っているため、文句が言えない、という状態。

対する楊家軍。
遼は、基本的に軍事国家。でも宋は文治国家なのです。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、そういうもの。楊家軍は、ある程度の独立性を保っているものの、独立行動圏なんてとんでもない。でも、精強であることは誰もがわかっている。

かくして、楊家軍は常に宋軍の「先鋒」かつ「殿軍」という厳しい配置に置かれ続けることになる。

あ、熱くなりすぎ。

書きたかったのは。
耶律休哥の「独立行動権」。
彼には、しがらみもなければ、そもそも「遼のために戦う」という気持ちを持っているのかどうかも疑問。楊業が宋の帝のために、という熱い気持を持ち続けるのと対照的に。
ただ、気持ちの良い戦をしたいだけ。耶律休哥自身、枷がなくなったようで、羽が生えたようと思っている。

でも、耶律休哥は本当に自由なのか。本当に、思ったとおり行動できるのか。

ってのが現れてくるのが、『楊家将』の一番最後のシーン。
耶律休哥軍は、楊業を討った。
でも、それは宋軍の裏切りのせい。

これで、耶律休哥が満足とは思えない。そして、そして、ここからは本当に妄想の世界に入るけれども、耶律休哥が本当に自由だったら、楊業はああいう死に方はしていない。

楊家軍が宋に帰順するとき、唯一異論を唱えたのが、例の四郎。
四郎は、北漢を見捨て、宋にも帰順せず、楊業が独立し、新たな国を作る構想を持っていた。

でも、もし仮に楊業が独立していたとして、それで楊家軍は自由を得られたか。
それもない。

楊業も耶律休哥も枷をはめられて、自由を求めて。
でも、枷をはめられる道を選んで死んだ楊業に一票。

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機能不全家族

機能不全家族―「親」になりきれない親たち 機能不全家族―「親」になりきれない親たち
西尾 和美 (2005/05)
講談社
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基本的に、他人の悪いところを見るのではなく、いいところを見ようとする。
他人の良くない点を指摘するときは、なるべく攻撃的にならないように気をつける。

人間関係の基本ですよね。
特に、自分にとって大切な人にはそうすべき。
エノモトは、そう考えています。


でも、自分にとって最も大切な人=我が子にも、こういう風に接することができているのか?
ということを考えさせられました。

元々、仕事のつもりで読み始めたのですが、いやはや、身につまされること。
頭ごなしに怒鳴ったり、自分の都合を押し付けたり、自分が悪くてもきちんと謝れなかったり。
こういうこと、やっぱりあるんですねー。


親子関係だって、基本は人間関係なんだ、という当たり前のようでいてなかなか気付くことのない真実を突きつけられます。

身近な人だからこそ、大切にしないといけないっていう真実もね。

でもこれって、対子どもだけじゃなく、対配偶者でも十分当てはまる。
大切だけど、身近過ぎていろんな意味で甘えがでちゃうって点が共通だからかも。


子育てに悩むお母さん・お父さんはもちろん、夫婦関係で悩む人にもお勧めです。

格言二つ。
「あなたの子どもは、あなたの子どもではありません」
章のタイトルになっているのですが、私はこれを大学時代に聞いた、「子どもは神様からの預かり物」という意味としてとらえました。
そのココロは・・・。
まあまあ近いかな。本書を最後をご覧あれ。

「間違っていたら、やり直せばいい。人生に、家族に遅すぎることはない」
何歳になっても、親は親だし、子は子だから、ね。

親子関係で悩んだときの対処法など、かなり実践的です。

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サイゴンから来た妻と娘

サイゴンから来た妻と娘 サイゴンから来た妻と娘
近藤 紘一 (1981/01)
文藝春秋
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つい最近、友人と「キューキョクの愛」について話をした。

その友人は、ちょいややこしいけど別の知り合いから『容疑者Xの献身』by言わずと知れた東野圭吾、が良いと、これぞ「キューキョクの愛だ!」と勧められたらしい。

でもねえ、あれって。
いわゆるオタクじゃないっすか?
ちょいストーカー入ってるっしょ。

ってのがエノモトの感想。

大体、東野圭吾の本は『容疑者X~』と、あとなんだっけ、『手紙』だかなんだかしか読んじゃいないけど、基本的にしんきくさくって気持ち悪いのだ。

あんなもん、キューキョクの愛でも無償の愛でもないやいっ。
自己中の妄想だ。

東野圭吾ファンの方、すみません。
文章うまいし、あれが好きな人がいることは理解できるんです。
でもあたしはダメですね。


で、ですね。
エノモトの考えるキューキョクの愛の姿が、この『サイゴンから来た妻と娘』3部作。
ちなみに続は『バンコクの妻と娘』『パリに行った妻と娘』であります。

特派員としてサイゴンに行った近藤紘一が出会った、「ダリアのような笑顔」の妻。妻の連れ子の娘。

この二人に対する愛はもちろん、その底流に流れる、亡くなった元の奥さんに対する愛。
それが、『目撃者-近藤紘一全軌跡1971~1986』の『夏の海』に流れ込んでいく。

『目撃者』の悼辞で司馬遼太郎がいみじくも書いた、「多すぎる愛」を堪能できます。

ん~。好きすぎてうまく書けないや。

ベトナム人の奥さんが、最初のうちのデートで近藤紘一に「前の奥さんのこと思い出す?」と聞くシーンがあります。
近藤紘一は、「毎日思い出す」と答えます。
奥さんは、「ふうん」だかなんだか答えます。

確かこれが、『サイゴンから来た妻と娘』で、前の奥さんについて語られた唯一のシーン。

帰国子女で、自分の居場所が見つからないまま亡くなった元の奥さんに対する罪悪感と、新しい娘ミーユンちゃんを祖国から、戦火を逃れるためとは言え引き離してしまった慙愧の念が入り混じりつつも、ミーユンちゃんにデタラメ日本語を教えて、「近藤のコムスメです」と言わせてしまうそのセンス。

年頃になったミーユンちゃんの前で、奥さんと「ベタベター」を繰り広げ、知人の夫婦に怒られてしまうそのかわゆさ。

故郷のベトナム料理が懐かしくなった奥さんのために、かえりかけのニワトリの卵を、わざわざ養鶏場に仕入れにいくやさしさ。

この辺りで、溢れ出る近藤紘一の愛を感じてください。

上記『夏の海』では、『世界の中心で愛をさけぶ』を読んで、「けっ何がセカチューだ、こんなのジコチューじゃん」と唾を吐いたエノモトが、今までの人生で唯一声を上げて泣いてしまった小説。

まあ、深く考えずに夫婦間異文化交流としても、おもしろおかしく楽しく、しかし切なく読めます。

(もう亡くなってるけど)近藤紘一は、結婚したい男性No.1です。
ちなみにNo.2は椎名誠かな。


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